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大磯中学校一年生の皆さんへ

 

  ご入学おめでとうございます。中学校の三年間はめまぐるしく変化する時代の中で、あっという間に過ぎてしまうとも言われています。

毎日を充実して楽しく過ごしてほしいと願っています。

 さて、皆さんは校長先生の名前がわかりますか。そうです、櫻井英明校長です。櫻井校長はとても優しく心の広い寛大な方ですが、善い行いは奨励されますが、悪行にはとても厳しい方です。人の身体はもちろん心を傷つけることも許されません。それこそ人権問題です。いじめることもいじめを見て見ぬふりをすることも許されません。三年生になると基本的人権の尊重について学びますが、誰もが大磯中学校の生徒として尊重されます。いじめのない学校で、お互いの良さを認めて学習に励みましょう。

 ところで、皆さんは学ぶことは楽しいことだと思っていますか。楽しくなければ学校ではない。先生方にもお願いします。楽しくなければ授業ではない。皆さん勘違いをしては困ります。先生方はお笑い芸人ではありません。楽しくないのは□□が悪いからだ、学校が悪いから、世の中が悪いからなどと考えている人は間違いです。なぜか。楽しくするのは自分自身だからです。日頃の努力が大切です。しかしながら、いつも思うようにいくとは限りません。辛くなったり悲しくなったりすることもあるでしょう。そんな時、一人でくよくよするだけでなくて、話し相手が必要です。友達であったり先輩であったりもするでしょう。学校では学級担任がいます。何でも遠慮なく声をかけてください。教科ごとに先生方も変わりますのでたくさんの先生もいらっしゃいます。部活動の顧問の先生でも、保健室の養護の先生、職員室の事務の先生、校務作業の方でも、毎日挨拶をして、顔見知りになるのも良いでしょう。何でも相談できる人をつくりましょう。家庭では保護者の方はもちろん家族とも、地域の方でも、塾の先生でも相談できる人を持つ

ことが大切です。人間は人の間と書きます。皆さんも社会に生きる人間として人と人のコミュニケーションを大切に出来る人になってください。

                                  

  何でもかんでも大磯中学校を心より愛して支援する会      

  

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大磯中学校二年生の皆さんへ

 

 中堅学年となった二年生は、大磯中学校のことが大体わかってきたのではないでしょうか。すでに一年間を大磯中学校で過ごした方は、知っていることも多いと思いますが、自分の学んでいる学校について知っておくことも大切なことです。 

昭和二十二年五月五日に大磯中学校は創設されました。しかしこのときは一、二年生だけで三年生はいませんでした。国府中学校には三年生も入学できましたので、同じ時にスタートしたにもかかわらず卒業式は大磯中学校の方が一回少ないのです。その後、アメリカ軍の政策もあり、大磯町に吉田茂首相が住んでいたこともあり、進駐軍の中心人物が、学校視察に訪れたり、全国に先駆けてPTA活動を始めるなど大磯中学校は教育先進校として有名になりました。

 さて、皆さんの毎日の学校生活に直接かかわりがあるのは、生徒会活動と服装の自由化のことではないでしょうか。昭和六十年から三年間、大磯中学校は神奈川県教育委員会同和教育推進研究指定校となりました。このころから人権教育が盛んになり、学校水泳の水着の自由化から始まった生徒主体の学校づくりが活発になりました。そして、平成五年には服装の自由化が実施されることになりました。詳細については皆さんの持っている生徒手帳に書いてありますし、生徒会活動についてしっかり考えている皆さんはすでに知っていることかもしれません。ただ問題は今までの先輩たちが築いた大磯中学校の伝統を皆さんがどのように受け継ぎ、これからのあり方をどう考えるかが重要なことだと思います。学校は生徒と先生方、そして保護者と地域の方々の英知を結集して創っていくものだと考えています。これからどのような課題が起こるかは誰もわかりませんが、例えどんなことがあっても、皆さんの大磯中学校がますます発展して、楽しく充実した毎日を過ごすことが出来るように、一人ひとりが努力してくださることを願っています。

   何でもかんでも大磯中学校を心より愛して支援する会

   

 

大磯中学校三年生の皆さんへ

 

 

 いよいよ今年度で義務教育が修了します。義務教育とは皆さんが学校に来るのが義務ではなく、保護者が学校に行かせる義務があり、皆さんは学ぶ権利があるということです。

 さて、皆さんは大磯町が好きですか。昭和四十年代の大磯中学校卒業生は、将来、東京に住むか大磯町に住むか二択で問うたら大体半々でした。ところが昭和五十年代になると九割の生徒が大磯町と答えています。

 皆さんの住んでいる大磯町は歴史と伝統があります。すでにご存知だと思いますが明治から昭和の時代には八人もの内閣総理大臣が住みました。

 まず、一、五、七、十代内閣総理大臣伊藤博文は、旅の途中立ち寄った大磯の松並木と海原がすっかり気に入って「この土地の町民になりたい」といったそうです。大磯中学校の敷地には三,九代内閣総理大臣山県有朋が住んでいました。八、十七代内閣総理大臣は早稲田の大隈重信、隣には外交官陸奥宗光も住んでいました。臨時、十二、十四代内閣総理大臣西園寺公望の別荘は今も三井邸として訪れる人を魅了しています。十八代内閣総理大臣寺内正毅、二十四代内閣総理大臣加藤高明、十九代内閣総理大臣原敬、そして、四十五、四十八、四十九、五十、五十一代内閣総理大臣吉田茂さんは大磯中学校にも多大な支援をしてくださいました。

 内閣総理大臣以外にも多くの著名人が住んでいました。大磯中学校の隣には足尾銅山の古河市兵衛、初代軍医総監 松本順先生はわが国初の海水浴場を開設、三井銀行の池田成彬、安田銀行の安田善次郎、高麗山を愛した浅野セメントの浅野総一郎、慶応大学長の高橋誠一郎、日本海開戦の東郷平八郎、「大磯は住みよいところ」の正宗白鳥、、左義長を見てそのまま住んだ島崎藤村、画室を持って創作活動に精をだした安田靭彦画伯、「ぶらりひょうたん」の高田保などなど、枚挙にいとまがありません。

 いずれの人々も大磯を愛した著名人ですが、「湘南」と命名した崇雪、東海道の松並木を描いた広重、秋の夕ぐれと詠んだ西行などなど、だれもが 愛した大磯町、そしてこの大磯町に皆さんが住んでいることを誇りに思って、これからの人生を切り開いてください。皆さんのご活躍を楽しみにしています。

 

  何でもかんでも大磯中学校を心より愛して支援する会

  

 

 

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